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2016年9月20日火曜日

藝術の秋におもったこと☆純粋な表現=芸術だとしたらそれができるのは子供のうちだけだろうな、と

自宅の郵便ポストに1枚の写真が入っていました。
小4の息子が自由に作った夏休みの工作
そういえば夏休みでミンミン蝉が大合唱しているころ、彼はコレを作ってたっけ。
学校に持っていったはずですが、何かに選ばれたのか!?
どこかの会場に展示されてたみたいです。
子供会の方か町内会の役員さんか誰かわかりませんが、
展示されている作品を撮ってきてくれたようです<(_ _)>
うち息子は無頓着で、どこどこに展示された…等を、
いつも教えてくれないので見に行き損ねました。

芸術とちょっと違うかもしれませんが、モノをつくるといういうことで...、
自分はゲームデザイナーとして10年以上ゼロからモノ作りをしていました。
でも、会社の意向、営業サイドの都合、制作費や納期の制約、法律順守などいろいろあって、
必ずどこかで妥協しなければならず、本当に自分がつくりたいもの、したいこと100%を形にしたことがありません。
(その中でも妥協点はできるだけ高い位置でというのは常に意識していましたが...)

そういうことを考えると、いつも思うんですが、
絵や物をクリエイトして報酬抜きの純粋な表現ができる= 芸術だとしたら、
それができるのは煩悩や制約がない子供のうちだけの特権ような気がします。
(もちろん大人でもそういう純粋な方もいるとおもいますけど...)

でも、最近の小学生の夏休みの工作や宿題とかを見ているとプロ化していて、
親の関与が相当大きい(ほとんど?)
「賞獲り狙い」
的なものも多くて、一概にそうもいえませんけどね。
ちょっと検索してみたらそういう系のサイトが多数ヒットしました(苦笑)
小学生の夏休みの工作や宿題の受賞のコツサイトなんてのがある世の中
受賞するコツって…そこまでして「賞」が欲しいんですかね?
なんていうか姑息というか、
こういうのを見て作らせて「賞」をとったとして嬉しいんですかね!?
こんな教育を受けて育ったらロクなオトナにならないと思うんですけど。
子供のうちぐらいは純粋に好きなようにやらせてあげたらどうかな~、と。

余談になりますが、街の文化的なイベントを見ていても、
師匠や教授に気に入られたいとか、
メディア受けを狙ったような作風のゲージュツが多いなぁと、
素人目ながらそう感じます,毒毒(笑)

と書いていていま思い出した話…。
自分の祖父は書道の会派の会長だか何か、
展覧会の審査をするようなその道ではわりと有名な人みたいでした。
亡くなったときの葬式も書道のなんちゃら会が会葬で盛大にやってくれてました。
そんな祖父に会いにお正月に行くと、弟子が次々と挨拶にきます。
で、まったく関係のない自分にお年玉をくれるのです。
そっか、彼らもまた賞が欲しかったんだな。
今思えば師匠(審査員)のご機嫌取り(ワイロの一種)ですね。

ずらずらと書いてきて、何がいいたいか、と言うと(^^ゞ
チッポケな価値観を優先して自分を殺して何かを得るより、
何かを得られなくても、
自分の正直なキモチを大事にした表現や生き方をするほうがいいな、
ということです。

では最後に一句。
"ごますりで 入賞するのも 芸のうち?!"
ゲージュツの秋です。




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