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2023年5月15日月曜日

ご飯おねだりでクルクル回転するマルチーズ

 クルクルっていうと、いつのまにかクルクル回転するようになってる(笑)


とにかく甘えん坊でかわゆす

2023年5月10日水曜日

じゃらんじゃらんが祝20歳・いろいろありました記録

20年間のヒストリーは原稿用紙100枚あっても足りないくらいですが5枚弱にまとめてみました。


ご覧の通り、気ままで元気な夫婦2人でやってる小さなお店です。2人とも海外旅行好きで「海外とかかわれる仕事がしたい」という思いがあり、好きだったコーヒー&現地で食べたり飲んだりして美味しかった食べ物、気になった雑貨を輸入して販売しよう、と2002年5月に開業しました。元ゲームデザイナー&丸の内OLでショップ運営はまったくの畑違い。素人夫婦が当時若さと勢いで始めたお店です。


★2002年。何のコネもなく、何もわからないまま海外に飛んでモノを買ってくる、ということを始めました。まずは長期旅行で訪れて少し土地勘のあったインドネシアへ。格安航空券を片手に小説の「深夜特急」に出てくるような安宿に泊まって現地で問屋や工房とカーゴ会社を探すところから始まりました・・・


★ドタバタの初輸入。輸入OK/NG品などいろんな規制があるのは知っていましたが、買い付けたものをビジネス用に正規輸入するのって想像してたのより相当大変でした。店の立ち上げでお金がかかるので節約して運賃が安かった混載船便で送ったんですが、数ヶ国をまたぐのでいろいろ問題が出てその都度連絡が来ました。現地のカーゴ会社からはFumigationがどーのこーの、荷物がシンガポールを経由してるらしくそこの商船会社からsurrendered B/Lがどーのこーのetc...今まで聞いたこともない貿易専門用語入りの電話、それもシンガポール訛りの英語(シングリッシュっていわれるほど独特の訛りで有名です)がかかってきたり、そうこうして荷物が東京港に届いて「保税倉庫は●日以降は倉庫料がかかるから通関して荷受けに来て」と。慌ててレンタルトラックを運転して深夜に山形から東京へ。カラ荷で跳ねて乗り心地悪~(苦笑)+トラックもマニュアル車も首都高も運転するの久しぶり~ …朝9時きっかりに大田区にある船会社で荷渡指示書(D/O)という書類を受け取って、すぐさま大井の東京税関に行って通関手続きを開始です。本来は通関士(合格率15%程の難関国家資格らしいです)にお任せするべき通関処理は、まずインボイス、パッキングリスト、船荷証券、運賃明細書、保険証券、原産地証明書、荷物に入っている商品の写真を揃えて、数百点買ってきた商品の素材で税率が違うので計算だらけでホントに大変。eimy店長が税関職員に教えてもらいながら電卓片手に作成。保税倉庫の受付時間の関係もあるしミスなく1日で全部済ませなきゃならないので時間との戦いでもありました。昼をまたいでしまいましたが関税を支払ってようやく通関許可のハンコをつけてもらえました。場合によっては(疑惑を掛けられると⁉)荷物のX線検査とかもあるみたいでしたがそれはパス(時間がかかるから良かった~)。保税倉庫では大型コンテナトレーラーに混じって山形ナンバーの小さなトラックで荷受け。プロの業者ばかりでレンタルトラックで来ている一般人なんていません。ヘルメットが必要だそうで事務所で貸してもらいました(照)。無事長い航海を経て届いた荷物をトラックに入れてもらったときは涙が出そうでした。帰りの東北道では力尽きてSAで長い時間仮眠したのを覚えています。大きく頑丈な木枠で固められてくる荷物の開梱も大変でそれだけでまる2日かかりましたね。中には長い航海で破損した商品もあってその補償請求(もちろん英語)、そんな過程を経てようやくお店に商品を並べることができました。「貿易」って簡単に言うけどこんなに大変だとは思ってなかったし、ゼロから最後まで自分たちの手をかけ、海外にかかわれて、本当にやりがいのある、という望んでいた仕事が始まった感じでした。(簡単にやる方法も考えたしもちろあるんですよ。現地でコーディネーターを雇って、日本では通関会社にすべてお任せしてしまえば良いだけです。費用は掛かるけど手間がなくなります。それにやりがいがあるか?と聞かれたらボクらはNOでした。)

今思えば、そこにあったのは勢いとチャレンジ精神とちょっとした情熱です。インドネシアの次はベトナム、タイ、中国と、商材だけじゃなく、なんなら現地の空気感までもを運んでくるつもりでやってましたね・・・。同時に珈琲の勉強もしてました。焙煎は現地のカフェや農園、国内では取引先の商社で教わりました。当時、インターネットはあったけど光回線もスマホもなくて、いまみたいに検索すればGoogle先生やYouTubeが何でも教えてくれる時代ではなかったから、輸入も焙煎も覚えるのがとっても大変だったなぁって。Time flies,Even the hard times are good times.って感じで思い出すと( = =) トオイメ目になりますよ。


★真似しないこと。自分たちのお店を立ち上げるときはオリジナリティを重視して2人のそれぞれの得意分野や好きなこと、ワクワクすることを詰め込むことにしました。なので雑貨店とかコーヒー豆店とか同業っぽい店の視察は一切しません。あ、あと「ウチの提案で店を作ると繁盛しますよ」と営業に来るコンサル業者も一切お断りしました。それらは20年経ったいまでも同じです。そんな感じで作った店ですが、なんかのレビューで「じゃらんじゃらん、とっても面白い店」「どこにもない楽しい店が七日町に出来て嬉しい」などのコメントを見たときはやっぱり嬉しかったですね(笑)


★分岐点の連続でした。スタートアップ間もない頃からTV/新聞/ラジオ/雑誌など多くのメディアで取り上げていただいて、OPENから半年で3回海外買い付けに飛んだほどたくさんのお客様にご来店いただきました。その頃「旧松坂屋デパートのビルがナナビーンズとして新たに開業するから来ない?」とデベロッパーさんに誘われお店を移転することに。県内初出店の有名な店も多く入ってウチなんかが入っちゃっていいの?って感じでしたね。芸能人一日店長を招いたり、イベントも多数あってどのお店も結構繁盛して、コーヒー豆販売に1時間待ちの行列とか、今では考えられないほどの活気に満ちていました。その数年後も某大型商業施設から誘いを受けたり、山形駅からもお誘いを受けてスタッフさんを雇用してエスパルに2店舗目を出店したこともありました。


忙しくて寝る暇もないってのはこういう感じなんだな、と。そんな中、店長が子供を授かり、とても悩んだんですが2店舗目は泣く泣く畳むことにして、その後震災があって世の中が変わり始め、いろいろと考えた結果「店を拡大する方向は止めて、原点(小さな店からほんものを。)にかえって2人でハンドリングできる範囲で続けていこう」となり、現在に至っています。


2023年5月10日。おかげさまで開店から21年目の年を迎えることができました。今では3代で通ってくださるお客様もいらっしゃいます。たくさんのお客様とご縁に恵まれて本当に感謝いたしております。「じゃらんじゃらんが無くなったら困るから長く続けてね」といわれるのが嬉しいです。現在は健康と体力の維持を考える年齢になり、自分たちが試してよかったヘルシーな食品も多く取り扱うようになっています。


(外部リンク) 山形経済新聞(Yahoo!ニュース)に掲載されました【七日町の「じゃらんじゃらん」が20周年 自家焙煎コーヒー豆など提供】


長文を読んでいただいてありがとうございます。これからもこんな感じで2人で力を合わせて元気にやっていければと思います。どうぞ宜しくお願いします。



画像内補足; 

・現在ハンディクラフト(雑貨)はコロナで渡航できないため休止中

・現在エスパルに店舗ありません